高田由良と申します。
「会食恐怖症」と検索してきちんとこの記事が出るかどうかは分かりませんが、
もし会食恐怖症当事者の方が今この記事をご覧になられているのであれば、是非私のこれから書く体験談を読んでみて欲しいです。
私は医院にかかったことは一度もなく、診断を受けた事も一度も無いですが、
中学2年の頃から高校卒業に至るまで対人恐怖症に罹っておりました。
中でも自覚症状が顕著として見られたのが、今回お伝えする会食恐怖症というものです。
これは調べたところ対人恐怖症の中の一種らしく、自分が思うに、対人恐怖症の中でも一際理解を得るのが難しい恐怖症だと思います。
自分の場合、明確に症状が出たのがいつ頃かは曖昧であり、気がついたら発症していたという感覚ではありますが、他の対人恐怖症と全く同じタイミングで発症しました。
ここから主な体験を書き記していきたいと思います。
中学2年の頃より、給食の時間が毎回苦痛になりました。
私の通っていた学校では、給食の時間になると、大体5人ずつお互いの机を向かい合わせにくっつけて、一つのまとまりを作ってご飯を食べる形式をとっておりました。
私の会食恐怖症の主な症状は、
・周りが静かな場合、自分の咀嚼音や嚥下する際の音が過度に気になってしまう
・食事中、周りからの視線が常に気になり、食べ物を口に運ぶタイミング、食べ物を口の前まで持ってきた時の口の開け方、食べ物を口の中に入れて閉じるまでの一連の動作に常に意識を寄せ、気を使ってしまう
・咀嚼中の口の動きも変になってはないかと怖くなる
・結果、咀嚼の仕方が機械的になってしまったり、物を飲み込むのが非常に難しくなる
といったものになります。
まず基本的に何を持っても手が微妙に震えて、器を持つ際にも意識を集中させていました。
汁物は大体器に口をつけて飲むと器から口に伝って水滴が垂れてきました。
特に炭水化物系の入れ替わりで出てくる麺は、食べ物の中でも一番の天敵でした。
まず自分はフランス人でもないのに麺を啜るのは汚いと考えるようになり、音も出せずに麺をある程度箸に纏わせてそれを口の中へ入る分だけ運び、その時点で啜ることは一切せず噛み切っていました。
ですので最終的には細々とした麺の残骸のみが残り、私の通っていた所は完食主義寄りで基本的に麺類はスープまで飲み干す者が殆どだったため、残った残骸たちとスープをまとめて口に入れるのは至難の業でした。
完食主義寄りの私の学校では器の内側に残った僅かな米粒も、片付けの際に周りの目についてしまう程ですが、そんな中でも器の内側に残った麺の残骸一つに、再び器を持ち上げたり、はたまた箸を使ったりなどして動作を起こす余裕すら当時の自分にはありませんでした。
側から見ると、物を食べるのが下手くそという感じだろうか。
給食では、会食恐怖症が顕著になってから給食を上手い具合にバレずに全て戻すこともたまにありましたが、担任に言及される事も度々あったので野菜だけは残して食べるようにしました。
今思えば、毎日野菜以外全て戻す生徒なんて同級生から見ても先生から見ても何か問題を抱えていると考えられてもおかしくないのに、担任にぽつぽつと一言添えられるだけだったのが不思議に感じます。
魚などのメインディッシュやごはん、麺は、中学3年生になってからは一度も食べていない気がします。何より綺麗に食べたり、完食するのに労力がとてつもなくかかりますので、これらは自分の中で毎回戻すと決めていました。
ヨーグルトなんかも、スプーンで口に運んで上唇にヨーグルトがついた際に、それを排除する方法が思い浮かばず、舌で舐めとるなどもってのほかという感覚であったため食しませんでした。
担任からは度々嫌味や心配事のようなものを一言呟かれたりしましたが、自分にとってはそれどころでは無かったので気にも留められませんでした。
それくらい、当時の自分には、毎日この時間が苦痛でしかありませんでした。
給食のみならず、他人との会食は全て苦痛でした。
ファミリーレストランに行った際でも、近くにちょっと賑やかな人達が座ると、口を開ける動作が重くなります。親をついたてにしてなんとか普通に食事が取れる程度です。
私が当時普通に会食出来たのは、親くらいでした。
同じ中学の人間が誰もいない高校に入りました。
そこの高校では昼食は弁当でした。
弁当システムは自分にとっては神がかっていると言っても過言ではありませんでした。
何故なら一切食べなくても不自然に思われないから
そもそも昼食自体、昼休みの時間と合わさっていたので、机をくっつけたりして、強制的に会食させられるシステムでもなく、個々が自由に過ごせる形をとっていました。
だから私は、最初から昼休みになっても飯なんか食わずスマホでもいじってようと決め込んでいました。
しかし、この学校に来て初めての昼休みを迎えた時、
優しい女の子グループに声をかけられてしまったのです。
みんな明るい方の人たちでした。何故か私の名前を既に把握されており、下の名前+ちゃん付けで私を呼びながらこちらへ歩み寄ってきました。
一緒にご飯を食べようと誘われてしまいました。
弁当は毎日親が作ってくれることだったので、弁当自体は持ってきてはいました。
こんな自体は想像もしておらず、皆自分が思ったより遥かにお互いがお互いに興味津々だったようで、こんな自分にも声がかかりました。
どうしたものか、とりあえず弁当を広げ、引き攣った笑顔のまま下を向きつつ、内心汗をだらだらとかきながら、投げかけられた質問には答えつつ、ちびちびと慎重に食べ物を口に運び続けました。
皆がトイレに行ったり、よそ見しているタイミングでまだ半分以上中身が残っている弁当を畳み、食べ終わったよありがとうと言って、その時はおかしさを残さずやり過ごすことができたように思います。
次の日、また次の日と呼ばれましたが、やはり中学の時の感覚が引き摺り、ましてお互いを認知してまだ数日も経っていない人間に、緊張が解けるはずもなく、寧ろ日に日に症状は大きくなるばかりでした。
なんとかその日をやり過ごしても、いつか必ずボロがでる
そう考えて、高校生活五日目を迎えたくらいで、いつも呼んでくれていた子たちに断って、昼休みはトイレで過ごすようになりました。
本当の便所飯を思わぬ形で体験したのはその時が最初で最後でした。
数日間、トイレの個室でおにぎりだけ食べました。人が来る前にと急いで食べました。
ですが、やはり皆んなが普通に過ごしてる裏で自分がこんな惨めなことをしているのが自分でも耐えきれず、便所飯生活はすぐに終わりを迎えました。
とはいえ、教室にいるとまた優しい子たちから声をかけられるかも知れないのが怖くて、
トイレでひたすらスマホをいじっていました。
トイレで十数分過ごして教室に戻れば、皆ご飯も食べ終わっているので呼ばれることもありません。
毎日たった十数分の辛抱でした。
弁当は毎日家に帰ってから、母親が仕事から帰ってくる前に急いで食べていました。
そうして高校生活をやりくりし、
二年生に上がってからは誰かに呼ばれるという事も無くなったので、少し吹っ切れて週に何回か食堂でポテトフライを買って自分の机で食べるようになりました。
思えば、そこから徐々に嫌な意識は薄れていったかのように感じます。
それでも人が自分の前を通ったりした時は手で口を覆ったりはしましたが、
皆が自分に全く意識を向けてないと理解できるようになってからは、何かを買って他人のいる空間の中で自分で食べるということが苦では無くなるまでになりました。
それから、ファミレスにも慣れ、一人でも顔を隠しつつですがご飯を食べることができるようになりました。
それから完全に会食恐怖症を気にすることが無くなったのは、高校卒業後正社員として採用され、人と人並みに接する機会が増えたことと、同時期に好きな人と付き合ったことにより自信がついたことも関係していたのではないかと、今は思います。
会食恐怖を克服できたのは、過去の自分からは絶対に不可能だと思われていたことで、今でも驚いています。
会食恐怖症が原因で自殺を考えていた事もあるくらい、今後どう付き合っていくべきか悩んでいたくらいだからです。
その他、視線恐怖症や、脇見恐怖症、吃音症、空気嚥下など、様々な症状も体験してきましたが、こちらは機会があれば書いておこうと思います。
結論やアドバイス
今は信じれないかも知れないけど、自分もその時は信じてなかったけど、ふとした時に、「本当に皆自分に意識が向いてないんだな」と理解できる瞬間があるので、それを踏まえれば克服できる良い方向に向かえると考えています。
絶対に克服できないだろうなと思われた、対人恐怖症にまみれた人間でも克服できたので、この体験談が誰かの自信に繋がれば幸いです。
お読みいただきありがとうございました。